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A029511 】(人名:1 筆,群組:0 筆) :
說明 鄧州全忠(dèng zhōu quán zhōng)A029511 別名 Alternative Names:[正體中文] 白崖窟,慶助,塩田中原,南天棒,中原鄧州
[日本語 (羅馬轉寫)] Nantenbou
[日本語] とうじゅうぜんちゅう
規範碼 ID No :A029511
生年 Birth:+1839-02-14 ~ +1840-02-02
卒年 Death:+1925-02-12
朝代 Dynasty:日本;
生卒年查詢字串 Birth-Death date Quote:生於:江戸時代, 仁孝天皇, 天保, 十年 卒於:+1925-02-12
生年出處 Birthdate Reference:天保10年(
http://www.nagaragawagarou.com/visualmuseum/m-nantenbou.html,2015.08.26)
卒年出處 Deathdate Reference:大正14年(1925)2月12日、結跏趺坐大衆面前で坐脱立亡遷化。(
http://www.nagaragawagarou.com/visualmuseum/m-nantenbou.html,2015.08.26)
宗派:臨濟宗 楊岐派
性別 Gender:男
是否為僧人:是
是否為歷史人物 Historical Person:是
註解(精簡) Notes(simple):羅山元磨弟子。(禪典.禪宗法系譜:49)
註解(完整) Notes(full):1839-1925 幕末-大正時代の僧。
天保(てんぽう)10年4月3日生まれ。臨済(りんざい)宗。羅山元磨(らさん-げんま)の法をつぐ。「直心(じきしん)即道場」を持論に禅風をひろめ,松島瑞巌寺,西宮海清寺の住職をつとめた。大正6年みずからの生き葬式をいとなむ。乃木希典(のぎ-まれすけ)も帰依(きえ)した。大正14年2月12日死去。87歳。肥前松浦郡(佐賀県)出身。法名は全忠。字(あざな)は鄧州(とうしゅう)。別号に白崖窟。著作に「提唱碧巌集」など。
【格言など】これでいつ入寂しても本望じゃ(生き葬式をいとなんだ際のことば)
中原 鄧州(なかはら とうしゅう、1839年5月15日〈天保10年4月3日〉 - 1925年〈大正14年〉2月12日)は、明治時代から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶で、諱は全忠(ぜんちゅう)、別号として白崖窟(はっけいくつ)を持つが、広く南天棒(なんてんぼう)の異名で知られる。竹篦(警策)として常に南天の棒を携え、全国の禅道場を巡っては修行者を容赦なく殴打した明治時代屈指の豪僧として知られる。在家者への教導にも力を注ぎ、山岡鉄舟、乃木希典、児玉源太郎などが彼の影響を受けた作譯資料 :- 毒語心經(B0021)
師徒關係 : [老師]
- 羅山元磨 (禪典.禪宗法系譜:49)
[弟子]
- 無隱自適 (禪典.禪宗法系譜:49)
- 菊僊宗匡 (禪典.禪宗法系譜:49)
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